2020解説

導かれている、その感覚に気付くとき

☆さる年 自己の罪悪の極みに気づいた者が仏の慈愛の極みを知る

東京新聞TOKYO Web
令和3年1月12日から引用

皆様は、自分が過去に悪いことをしてしまったと思うことはありますか。

何かを後悔する、という経験は、誰しもがあることかと思います。

さて、私達に罪悪があるとすれば、それは一体何でしょうか。

あなたが過去に思うことは、果たして罪悪に値するのか。

私達にとっての罪悪は、あなたが思うようなことではありません。

あなたが思い付くことなど、大したことではないでしょう。

私達にとっての罪悪は、真実に無知である、ということです。

物事の真実というのは、あなたが感情的に感じていることではありません。

真実は、俯瞰的であり、有りの儘であり、深い慈愛によって語られるもの。

皆様の毎日は、辛く険しいものではないはずです。

今もこうして生きている。

昨日よりも経験を積んでいる。

今この瞬間も気付きがある、という現実をキチンと見つめてみましょう。

感情で語れることというのは、大したことはありません。

大きな力によって導かれている。

その力を感じることが出来たとき、初めて姿無き存在に感謝することができる。

導かれている、その感覚を知る良日なり。

私達は、様々な経験を積みながら、向上しているのです。

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