2019解説

性善説、性悪説、人の魂の本質とは何か

☆たつ年…本来の人の心は快楽なるもの。求めずとも備わっている

東京新聞TOKYO Web
令和元年7月30日から引用

人について、性善説や性悪説と語られることがありますが、その実態はどうでしょうか。

人の魂というのは、若い魂や古い魂があり、それぞれ経験したことや、魂としての傷・カルマが違います。

また魂は様々なエッセンスの集合体であるため、攻撃的な性質があれば、温和な性質も持ち合わせているのです。

人は、その一生だけが経験の場なのではなく、生まれ変わりをして様々な人生を経験することで、魂の経験値を上げております。

そのため、一回の人生の性質というのは、その人生の目的によって定まり、その時に強く出るエッセンスや、魂の傷の度合いによって性質も左右されるため、魂に性善も性悪もないのです。

さて、では魂はどのような気持ちで生まれてくるでしょう。

人は、人として生まれるとき、今回の人生で経験したいことに向かって活力を持って生まれてきます。

人にとって地球で生きるというのは、自分を成長させ、物質的な体験ができる楽しい場所なのです。

楽しい場所でやる気があるのが本来の気持ちであるのに、果たして私たちはそういう気持ちで生きておりますか。

人として生きるのは確かに辛いことが多いかもしれません。

しかしそれは、物事の辛い面や人の醜い面を見て、世の中の価値観に縛られ、自分は何も出来ないと思い込む、考えによって生まれる迷信でしかありません。

人は、魂の輝きや心の豊さを、頭の固さと我が儘な考えによって封じてしまっている。

自分の考えは、自分を窮屈で不安なものにしかしないと改めましょう。

固定概念から解き放たれたとき、初めて自分の明るさに気付くことになる。

自分の魂を信じるとき。

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