☆い年…自分の道徳行為に我心が伴うと反省すべし
東京新聞TOKYO Web
令和元年7月1日から引用
みなさま、善行と偽善の違いは何だと思われますか。
人の為になることは善行である。下心のある優しさは偽善である、そう思われるかもしれません。
しかし、心から他人に良いことだと思って行動しても、偽善だと感じられてしまうことがあるでしょう。
それは一体何故でしょうか。
善行と偽善の違いを知るためには、人にとって良いこととは何か、知らなくてはなりません。
人にとっての良いことは、人が違えば、一人一人違うことでしょう。
本人が気付いていない、または気付きたくないことの場合もあります。
人にとって良いというのは、嬉しい、ということではなく、正しいということ。
嬉しいという基準で考えれば、良いことはたくさんあり、叶えることも容易かもしれません。
しかし、正しいことというのは、なかなか実践できないものです。
さて、では他人が、あなたにとっての正しさを指し示してきたらどう感じるでしょうか。
おそらく、その正しさを受け入れられないのではないでしょうか。
その相手は、心からあなたに良いと思って言ってくれた正しさかもしれません。
しかし、あなたの心は、他人に従うことに抵抗がありませんか。
人が変わるためには、自分からの発露が必要なのです。
他人から、どんなに正しい発露があっても、それを自分が受け入れられないのは、自分の心が伴っていないからに他なりません。
人というのは、実につまらない意地を張り、他人の優しさを撥ね付けるもの。
そうした人の性質を理解すれば、自ずと他人に対する優しさのかけ方も変わってくるでしょう。
優しさが偽善になるのは、正しさを押し付けているか、下心があるから。
優しさが善行になるのは、相手の自発性を促し、そのことを相手に悟られない謙虚さがあるから。
正しいことをしている私、他人を受け入れたくない私、我心が強くなればなるほど、相容れないということを覚えておくように。