☆ね年…歩むこと半ばで決断できるは勇者であり、決断できぬは敗者である
東京新聞TOKYO Web
令和元年6月8日から引用
私達は、自らの選択によって人生を歩んでおります。
無難な選択をすることがあれば、ときには英断によって、大きく前進することもあるでしょう。
判断を間違って後悔することがあれば、過去の判断の栄光を懐かしむこともあるでしょう。
誰かの意見にそそのかされた行動であっても、最終的に選択するのは自分です。
さて、そうして日々、仕事のこと、家庭のこと、対人関係のこと、自分のことを選択し決断している訳ですが、その決断が英断になるか愚断になるかが決まるのは、決断した結果ではなく、過程によって決まります。
私達はとかく、自分で出した決断について、固執する傾向があります。
一度選んだ道だからといって、一心にすがり、運命を手離してはいませんか。
運命というのは、自分で切り開いていくものです。
普段できない決断ができたから運命が開かれる訳ではないし、ほっておいて人生が進んでいくことはありません。
決断するということは、ようやくスタートの一歩を踏み出したということ。
歩み始めなければ、その決断が英断だったのか、愚断だったのかは分かりません。
しかし、決断に固執するあまり、立ち止まる機会を失ってしまうことは、愚断への道でしかありません。
判断というのは難しく、歩み続けることは忍耐がいることも多いでしょう。
ましてや、歩んできた道を引き返すことは、自分の今までを否定しているようで辛い選択になるかもしれません。
しかし、どんな時であっても、自分の感情を超えた正しい選択ができれば、愚断も英断となります。
執着を超え、感情を超え、選択し、決断し、歩み続けること。
そして、自分の選択の誤りに気付いたら、道を引き返し、選択し直す勇気を持つこと。
人生の節目における正しい選択によって、人生の好転を得るとき。