☆とら年…仏に頼むとは一切を仏にお任せしたる心なり
東京新聞TOKYO Web
令和元年5月29日から引用
皆様は、今年のお正月に初詣に行かれましたか。
おそらく、半数以上の方は、行かれたことと思います。
では、普段の生活の中で、神社やお寺に行く機会はあるでしょうか。
観光ではなく、おまいりが目的で神社仏閣に行く方は、きっと少ないことでしょう。
初詣も、おまいりに行くというよりも、イベントに参加する気持ちではないでしょうか。
さて、困ったときの神頼み、という言葉があります。
人はとかく、困ったことや、自分の力が及ばない出来事が起きた時にだけ、神仏さまを頼りにしがちです。
それは決して悪いことではありませんが、問題は、普段の私達の心にあります。
生活の中で科学技術が発達し、何でも便利になってきておりますが、その生活に合わせて、私達の心もまた、最適化を求めるようになりました。
何かを解決したいときには、最も適した方法を探る。
それは一見、とても効率が良いことのように思えますが、果たしてそれが正解でしょうか。
神仏さまへの願いも然り。
世間でいわれている御利益を求めて、遠方の神社仏閣に頼み事をしに行く。
しかしその願いは、最適化によって導き出された、一度きりの信仰でしょう。
それは本当に、何かの解決に至るのでしょうか。
そもそも、おまいりというのは、自分の心と向き合う場です。
自分の状態を整理し、神仏さまに誓いを立て、自分を奮い立たせる場です。
最適化によって、自分の外側を整えていくよりも、自分の内側を見るべきではないでしょうか。
神仏さまへお願いをするというのは、自分の決意を固めるということ。
そのために必要なのは、最適を探るのではなく、自分の軸を確かなものにすることです。
ケースバイケースで、あれやこれやと手を伸ばすよりも、一つ確かな道を見つけること。
信仰もまた、確かに信じる心にこそ、正しき道が与えられるのです。