2019解説

飲食に対する意識を変える 執着から離れて自由を得る

☆ひつじ年…欲の中で飲食程強いものはない。欲しいままにして心を害す

東京新聞TOKYO Web
令和元年5月22日から引用

みなさまの1日の中の楽しみは何ですか。

多くの方は、映像や音楽、スポーツ、ランチや晩酌のひととき、ではないでしょうか。

仕事終わりに飲むビールは美味しいですね。

もしも、そうした楽しみが無くなるとしたら、どう思われるでしょう。

好きな映像や音楽が取り上げられる、スポーツが出来なくなる、食事が制限される。

きっと、大きな喪失感があることと思います。

楽しみの中でも、飲食というのは、摂らなければ死んでしまう故、その変化に特に過敏に反応してしまうことでしょう。

飲食には、生存欲と娯楽が合わさることで、他の楽しみにはない強い欲望が生まれます。

食事が1日に1回しか摂れなくなれば、多くの方は、飢えを体感することでしょう。

それは、身体の飢えなのか、心の飢えなのか。

さて、近年の日本は、飽食の時代となりました。毎日、食べ物は大量に消費され、大量の残飯が捨てられています。

私達は、必要以上に食べ過ぎており、その食べ過ぎによって身体を害しているのにも関わらず、それでも尚食べ続けています。

食べることを止められないのは、生存欲とその娯楽性ゆえのこと。

そうして食事の本来の在り方から離れ、暴飲暴食のような貪るような日々を過ごしておりますと、私達の心も身体も、そうした日々に見合ったものへと変容していくでしょう。

貪りの生活は、心と身体の醜さに繋がっていくのです。

みなさまは、食事の適量について、考えたことはありますか。

人は、本来、1日3食、食べる必要はありません。

私達の身体は、1日3食お腹いっぱいに食べるようには出来ていないのです。

自分の身体の声に耳を傾けると、自分が常に食べ過ぎていることが分かるはず。

人が3食ムキになって食べているのは、3食たべた方が健康に良いなどといった間違った固定概念や、食べなければ死んでしまうという意識、そして食による快楽のためです。

食べ過ぎが止められないのは、身体の声が聞こえなくなるほど、心が食を求めるようになってしまっているため。

身体は求めていないのに、貪りの心によって、飲食を摂らされていることに、気が付かなくてはなりません。

人は、貪りの執着から離れることにより、自由になります。

本来の自分らしく生きるためには、欲望に対する執着を俯瞰すること。

執着によって苦しんでいる現状を知り、自分を苦しめているものは、自分の日々の営みであることに気付くとき。

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