☆うし年…安心が得られないのは自我心が強いからである
東京新聞TOKYO Web
令和元年5月16日から引用
みなさまの中には、何かと心配してしまい、いつも不安である、という方は、少なくないのではないでしょうか。
同じように日々を送っていても、不安になり、幸せを感じることが出来ないのは、何故なのでしょう。
何かが足りていないからなのでしょうか。
私達は、物事を何かしらの要因によって判断する傾向があります。
幸せな要因を求め、不幸な要因を探してはいませんか。
幸せや不幸、安心や心配というのは、一時の心の状態でしかありません。
その一時の心の感情に左右されているに過ぎないのです。
何かの要因・環境によって心が揺れ動くため、幸せや安心を得るためには、まるで何かが必要であると思い込んでしまう。
しかし、私達は、いつでもどこでも、今この瞬間にでも、幸せになれる、安心を得ることができます。
不幸や不安である、というのは、自分の強い思い込みに過ぎません。
さて、幸せ・安心を得るためには、心が抱えている執着を手放す必要があります。
現状で足りていない要素を求める執着、お金や仕事に対する執着、人に対する執着、物に対する執着など。
心の執着を手放し、心が軽くなればなるほどに、今の自分はすでに満ち足りていることに気付くことが出来るでしょう。
毎日、食事があり、住むところがあり、自分の意志により物事を選択することができる。
それの何が不満なのでしょう。
あとは、何を選択するか、なのです。
執着を手放し、発想がシンプルになればなるほど、自分にとって本当に必要なものは何かが見えてくるでしょう。
心が軽くなれば、正しい選択ができるようになります。
現状で立ち止まり、不幸や不安を口にするのは愚者の行動である。
正しく太い心を以て、安心、幸福を得る。