☆う年…人生は不安。宗教は安心。宗教心のない人生は狭く小さいもの
東京新聞TOKYO Web
平成31年2月22日から引用
多くの人にとって、人生は辛く苦しいもの。
人として生まれるということは、学びと新しい経験を求めにきているということです。
ただ楽しいだけの人生には、学びはなかなか起こりません、辛さや苦しさの中に、学びはある、そのため、人生は辛く苦しいことが多いのです。
さて、古来より、宗教には二つの側面がありました。
一つは、宗教にすがることにより安心を得ること。
そして一つは、人として悟り、人生の辛さや苦しみを別のものとして捉えることのできる境地に行き着くこと。
しかし、今の世の中の宗教には、このどちらも当てはまらないことの方が多いでしょう。
職業宗教に成り下がったことにより、宗教を語る人の質が落ちすぎましたし、私たちがそこで語られている薄っぺらさ・真実を見抜けるようになってきています。
宗教に込められている教えは深淵な智恵である。
だからこそ、今の時代まで、語り継がれているのです。
個人に対する信仰や、対価を払わなければならない信仰には、多くの嘘があるでしょう。
しかし、そうした嘘っぱちでデタラメな宗教も、深淵なる智恵の要素を取り入れているため、人は騙されてしまう。
宗教を取り違えてはいけません。
宗教とは、深淵なる智恵のこと。その宗教に込められた教えは信じるに値しますが、今の宗教で語られることの殆どは、深淵なる智恵とは遠く離れたものでしょう。
宗教とは、悟りに至るためのツールである。
宗教に込められた智恵を活かすことが目的であり、それにより人生の安心が得られる。
人が一人で悟りに至るならば、宗教などなくてもよいのです。
宗教が、人が悟りに至るために用意された、有り難いツールであり場所であることが理解できれば、今までとは違った宗教心が生まれることでしょう。
宗教とは何か、今一度考えるように。