2019解説

知識は足枷かもしれない

☆ね年…偉くなって人の言葉に耳を貸さなくなると反省せよ

東京新聞TOKYO Web
平成31年2月19日から引用

人は、学習して知識を付けていきます。

学んでいる段階では、人は謙虚でいられますが、だんだんと知識が付いていくと、自分は分かっている、という勘違いを覚えて、物事について聞く耳を持たなくなることがあるでしょう。

さて、そうして人が学んでいる知識ですが、知識の量は多ければ多いほどいい、と思っている方もおられるかもしれません。

しかし、知識というのは、所詮は人の借り物でしかありません。

その身に付けている知識・情報は、本当に正しいものですか。

そんなものを身に付ければ身に付けるだけ、物事のそのままの姿を観ることは難しくなっていくでしょう。

物事の真実というのは、観たそのままである。

物事が着色されて見えるのは、自分が身に付けた仮初めの知識のせいです。

そして、物事を理解できていないから、偉そうにもなれるのです。

例えば、大抵の政治家が偉そうなのは、物事の真実が見えていないから。

政治家に人が近付くのは、自分にとって都合の良い情報を植え込みたいからです。

そうした政治家たちは、中途半端な知識と見解ばかり持ち得たために、自分は人より偉いと思っていますが、勘違いの道化師でしかありません。

本当に必要なことが何なのか、分かっていないからあんなに偉そうになれるのです。

本当に正しく物事を観ようと思ったら、必要なのは知識ではなく、智恵である。

智恵というのは、自分由来の知識ともいえます。そしてその智恵は、自分に元々備わっているもの。

何故、どうして、だから何。

子供の時分は、そうした疑問を以て物事を見つめていたことでしょう。

しかし、いつしか、人の借り物の知識を学ぶことによって、そうした疑問を持つことがなくなっていった。

本当に物事の真実を知りたければ、自分で感じた疑問をそのままにしてはいけません。

疑問に思うということこそ、智恵なのです。

智恵のある人間というのは、人の意見をよく聞ける人です。

物事の正しさというのは、どこにでもあるということに気付いているからです。

智恵のある人間というのは、物事に偏見を持ちません。

世間で語られる物事は、正確ではないと知っているからです。

智恵のある人間というのは、軸が自分にあります。

他者の考えは、他者のものであると知っているからです。

知識と智恵を間違うなかれ。

偉そうになることなど、恥ずかしいことだと知りましょう。