☆とら年…文化の発展は喜ばしいが、欲望の発育を伴う。欲望多ければ苦しみ増す
東京新聞TOKYO Web
平成30年12月12日から引用
近年の物質的な発展は目覚ましく、私達の生活は、日々利便性が増しております。
電話やインターネットの普及、冷暖房の設備、電子レンジや冷凍加工の技術の発展、電車や飛行機など移動手段の進化、お掃除ロボも登場しました。
そうした生活環境の変化は、確かに私達の日々の生活を豊かにしましたが、それを使う私達の心も豊かになっていったかと言えば、それは違うと言わざるを得ません。
急激な文化の発展は、人の心の欲望をかき立てる結果となりました。
次々に登場する便利さに、人は心を奪われてしまいました。
皆がその便利さを当たり前と感じ、便利さが普段通りに提供されないと怒りを覚えるようになりました。
自分が能動的に動くことが少なくなり、楽をするようになりました。
ケータイ電話とインターネットの普及により、誰もが自分だけの世界に入り込み、他者に対する思い遣りが少なくなりました。
確かに物質的に豊かになっているはずなのに、私達の心では、さまざまなモノに対する執着が強くなり、心は以前よりも荒み、小さな苦しみが多くなってはいませんか。
そうした日々の小さな苦しみを感じているはずなのに、その苦しみを感じないように、更に自分の娯楽の世界に夢中になっていく。
この構造の中では、本当の幸せを感じることはできないでしょう。
欲望は、追い求めてもいつまでも満たされることはありません。麻薬のように、欲に溺れている間は満たされますが、すぐに渇いてしまうでしょう。
なければ生きていけないように執着してしまいますが、その執着こそ苦しみの根源であることに気付くべきです。
欲望とは、執着である。
執着を手放すことが出来れば、日々の生活の中に余裕が生まれ、全く違う心持ちで過ごすことが出来るでしょう。
自分の人生には、本当は何が必要なのか。自分の真の幸せとは何か、見つめ直すとき。