☆いぬ年…悪口を言うのは簡単だが、代わりに行おうとすると難しい
東京新聞TOKYO Web
平成30年12月8日から引用
人を見て、もっと違うように行動出来たらいいのにと思うことがあるでしょう。
そんなに難しいことではないと、批判することもあるかもしれません。
自分なら出来ると、思うこともあるでしょう。
確かに、代わりに自分が行えば出来るのかもしれません。
しかし、それが果たして同じ物事か、といえば、人が違えば物事は変わってしまうものです。
人はそれぞれ、抱えているものが違い、個性が違います。
今まで生きてきたその積み重ねによる傷や癖もある。
得意なものがあれば、不得意なものもある。
同じ行動をするのも、同じ労力とは限りません。
同じ物事を行っても、結果が同じとは限りません。
人の痛みや苦しみは、共有することなど不可能です。
確かに、想像すれば、寄り添うことはできます。努力をすれば、相手の痛みの本質に限りなく近付いていくこともできるでしょう。
しかし決して、100%理解することなど出来ません。
私達は日々、相手の苦しみを理解出来ないのに批判しているのです、そのことを忘れてはなりません。
理解できないからこそ、正確に物事を見極める必要があります。
相手の現状を理解し、少しでも痛みを共有することに注力するのでなく、苦しみの種を取り除いてあげること。
本人ではなく、俯瞰して見れる他人だからこそ出来ることがあります。
苦しみの螺旋の中で迷っている人に必要なのは、批判でも激励でも共感でもなく、救済である。
上から掬って、全く違う世界に連れて行くことが、必要なこともあるでしょう。
人と自分は、同じではないし、理解もできない。
その基本をふまえて、相手に対して出来ることを誠意を込めて行ってまいりましょう。