☆いぬ年…南無の心は彼岸にあるのではない。毎日の行いに宿る
東京新聞TOKYO Web
平成30年11月26日から引用
人には、人それぞれの信仰心があります。
それは宗教という括りではなく、その人の価値観のようなもの。
具体的な信仰はどうであれ、無自覚であっても、信じるているものがあります。
仏教では、生きていく苦しみから離れることの出来る悟りを得ると、仏であるとされています。
その仏の悟りの境地のことを彼岸ともいいますが、この彼岸を目指すことが、生き方ではありません。
彼岸とは、具体的に定義されているものではなく、人それぞれによって違うもの。
そして、目指すものではなく、辿り着くものです。
日々の生活の中でどのような行いをしているか、その積み重ねによっては、彼岸に辿り着くことがある。
さて、人が手を合わせるという行為は、どんな宗教や信仰であっても、共通しています。
それは、感謝と祈りを表したものですが、この手を合わせる事が日常でいかに出来るか、それこそが仏教でいうところの彼岸に至る道なのです。
信仰とは、特別な空間や特別な対象がなくてはならないものではない、日常の中にこそ、手を合わせるものがある。
そのことに気付く良日。