☆み年…病的なほどの良心は臆病となりて前進を遮る
東京新聞TOKYO Web
平成30年11月21日から引用
自分の親しい人には幸せになってもらいたい、それは多くの人が想えることでしょう。
特に、家族・子供に対して想う方が多いのではないでしょうか。
それは親心、親の責任とでもいいましょうか。
さて、親子に限らず、人が人を想う心というのは複雑なものです。
そこには純粋な愛だけでなく、執着やこだわり、支配欲など自分勝手な想いが含まれています。
相手には、こうなってほしい、こうなれば幸せなんだと、相手の人生にこだわり、その考えに執着してはいませんか。
相手が人の道を踏み外しそうな時、注意して違う道を示すことは必要なことですが、常日頃から相手の生き方を決め付けることはいけません。
その人の人生はその人の選択によるものであり、それは自由であるべきです。
人には低迷する時期もあるし、飛躍して隆興する時期もあり、すべてはその人の学びです。
そうした他人の人生に対して、どうにか変わってもらいたいと想うことは、自分のエゴであると思いましょう。
そのエゴを通すのなら、自分の人生は前進することはないと思いましょう。
人を変えるなら自分が変わること。
自分がすべきことを間違えぬように。