☆み年…善にも悪にも報いがある事を知る者に成功あり
東京新聞TOKYO Web
平成30年10月28日から引用
善いことをすれば善い報いが、悪いことをすれば悪い報いがあります。
そのため、善い行いをすることで、人生に起こる物事は善くなっていく。
そう語られても、人の行動は変わりません。
それは実感が伴わないから、に他なりません。
がんばって善い行動をとってみても、何も善い報いがない、だからすぐに忘れてしまう。
さて、善行には善の報い。
これは、実は認識することが難しい。善い報いといっても、それが起こるタイミングは、直ぐではないかもしれません。
そして、善い報いといっても、現実的に善いことが起きていると思えないことが起きるかもしれない。
人生全体を俯瞰してみた時に、この時こうなって結果的によかった、ということが善の報いであり、それは長い月日が経ってからでないと分からないかもしれません。
しかし、正しく生きておれば、相応しい時に相応しいことが起こります。すべての物事は、自分にとって必要なことが起きるようになる。
その物事は、感情では善い悪いと思えることかもしれない、しかし、真実としてはすべて「善」なのです。
さて、悪行には悪い報い。
これに関しては、どこかで悪いことをしていると自覚して行動しておれば、悪い報いがありますが、全く悪いと思えないのならば、意外と何も起こりません。
悪い報いとは、人生修正の機会を与えられるということであり、それは気付きのある人間に対して与えられるもの。
気付きがなく、善悪の違いも分からぬ者には、善行も悪行も起こらないのです。
それは、人生の導きがない、といってもいいでしょう。
欲のままに生き、死にたくないと死を恐れもがきながら死んでいく。
正しく生きる、善行を重ねることは、見返りを求めてすることではありません。
そういう行動しかとれないから、そう生きていく。それは自分の感じたことを通していく生き方であり、起こること全てが結果的に善いことになると信じた生き方である。
報いは、人間ごときには計り知れないと気付き、成功あり。