☆う年…現実のみを重大視するところに混乱がある。永遠の視点に立つべし
東京新聞TOKYO Web
平成30年10月14日から引用
皆さま、この世には、目に見える世界と、目に見えない世界があります。
日頃の私達は、目に見える物だけを信じる傾向があります。しかし、皆どこかで目に見えない世界の存在を感じています。
目に見える物だけしか信じられないのは、本当は目に見えない世界によって目に見える世界が定義されている事実を知るのが怖いからに他なりません。
鈍感になってしまった自分にとって、確信が持てない世界よりも、物質的な錯覚の中で生きる方が、気が楽なのです。
しかし、そうした物質的な現実だけを見ていたら、人は幸せになりようがありません。物事の真実に気付くことが出来ず、いつも不安と混乱の中を生きなくてはならないでしょう。
目に見えない世界を感じないようにすることは、自分の世界を小さく小さく狭めているという事実に目覚めなくてはなりません。
しかし、そうして目に見えぬ真実を知ろうとした時、気をつけなくてはならないことがあります。
この世の中には、目に見えない世界についてのマヤカシが溢れております。そのどれもは、目に見える世界だけを信じてきた人にとっては、心が救われると錯覚する要素を持ち得ています。
ただそれは、その教えが素晴らしいのではなく、目に見えない世界の真実に少し触れているだけに過ぎません。
その真実は、世界のどの宗教の教えの中にも、含まれていますが、それは別にその宗教でしか得られない真実ではないのです。
目に見えない世界を信じるということを、宗教だと勘違いせぬように。どこかの神を信じることが、目に見えない世界を信じることではありません。
目に見えない世界の真実は、どこかに行かなくては得られない訳ではありません。何かの本にしか載っていない訳でもありません。
その真実とは、日常そのものです。真実は、どこかにあるのではなく、常に自分と共にあるのです。
目に見えない世界とは、自分が日々過ごしている世界なのだということを知ることが出来れば、これからの人生は、全く違うものになるでしょう。
目に見えない世界を生きるとは、永遠の中を生きるということなのです。