☆さる年…火鉢が熱すぎて手を出せぬ。過ぎたるは及ばざるが如し
東京新聞TOKYO Web
平成30年10月07日から引用
物事には、何事も程々のラインがあります。相応しい状態があり、足りなくても、過ぎてもいけない。
例えば、油の温度について。天ぷらを揚げるのに、油の温度が低ければカラッと揚がらないし、高すぎれば焦げてしまう。天ぷらを揚げるに丁度良い油の温度がある。
人間関係においては、油の温度のように、分かりやすい状態にはないかもしれません。
特に、それぞれに言い分があり、お互いが正しいと思っていては、判断が難しいでしょう。
しかし、やはり相応しい状態というものがあります。その状態を、目指さなくてはなりません。
物事の本当の正しさ・あるべき姿というのは、所詮人間には分かりません。
人間は、それほど正しくはいられません。
強いていうならば、人間として、個人的な感情や、こだわりやとらわれ、片寄りや蟠りがない状態が、最も本質に近いでしょう。
では、どう生きるべきなのか。
人と接する、また人生において気をつけるべきは、中庸ということです。
どんなに正しいことであっても、やり過ぎてはいけない。また、気付いていながら、見過ごすのもいけない。
どんな物事においても、中庸をいくということです。
この状態が、結局のところ最も発展性があり、またお互いの負担も少ないでしょう。
有耶無耶にするのとは違います。ここは、間違えてはいけません。
中途半端ではなく、中庸。
足りないのではなく、中庸。
やり過ぎでもなく、中庸。
すべきことはする、しかしやり過ぎない。
片寄りすぎず、こだわりすぎない。
中庸を維持するためには、自分の感情から離れて、物事を俯瞰して見るのです。
これより、中庸を生きるということの本質を、体感していきましょう。