2018解説

弁解ではなく、伝えることについて

☆さる年…弁解をするほど窮地に陥ると悟るなり

東京新聞TOKYO Web
平成30年8月8日から引用

人の心の中には、他人に自分のことを分かってもらいたいという思いと、良く思われたいという思いが共存しております。

とかく男性においては、言葉を語らずとも自分を信じて分かってくれる相手を、良しとする傾向があります。

さて、他者とのいざこざが起こったとき、どういった行動をとりますか。

どちらが正しいか、の議論になるかもしれません。もしも自分の方に非があるのなら、どうしてそうなってしまったのか、弁解することもあるでしょう。

これは当事者の人間関係にもよりますが、争いというのは、ないに越したことはありません。

自分が折れて済む話ならば、敢えて荒波を立てずに、謝ってしまうのもいいでしょう。

これがもし、上司と部下や、師弟関係の場合は、どうでしょうか。

本当に優れた上司や師匠ならば、下の人間の状況は把握できているはずです。

その上で、敢えて伝えて下さることについては、ありがたく黙して受け入れるのが賢明です。

自分が下の立場の場合は、弁解せずに黙って事を受け入れること。

弁解は、自分の了見が狭いことをせっせと体現しているに過ぎないこととなります。

ただ、難しいところですが、何も事実関係を伝えない訳にはいきません。

最も良い方法は、責任を自分で持ちながら話をすること。

何事においても、他の者や事象のせいにせず、そういった事が起こらないために、自分がどうすべきだったのか、という内省をした上で、伝えること。

弁解でなく伝えることにこそ、その人間の内面が現れる。

そのことを踏まえて行動するように。