☆み年…労を尽くしても、必要以上にその報いを求めなければ必ず善報あり
東京新聞TOKYO Web
平成30年8月5日から引用
人はとかく、何事に対しても、自分の価値観に基づく対価を求める傾向があります。
仕事をした時は、その対価を。人と接して優しさを与えたらその対価を。恋人に愛を語ったらその対価を。お金を払ったらその対価を。
しかし現実は、自分の納得のいくような対価が得られているでしょうか。
さて、物事に対する行為による報いは、絶対的な法則の上に成り立っております。
それは感情や価値観を超えた絶対的なものであり、厳格なルールがあります。
そしてその報いは、間違いのない正しい対価なのです。
現実は、対価が常に不足しているのではなく、常に妥当である。
そこに納得がいかないのは、誤った価値観を持ち続け、真実・現実を見ようとしない自分自身の問題なのです。
では、対価のルールとは何か。
それは、自分が発したエネルギーと同等の質のエネルギーが返ってくるということ、それだけです。
例えば、人に優しく接した時、自分の心の状態が本当に優しさで満ち溢れているなら、それは同等の善報があるでしょう。
しかし、一見すると人に優しく接した対応であっても、心の中でその人を馬鹿にしたり、面倒だと思えば、その重たく冷たい無機質なエネルギーと同等の悪報があるでしょう。
お金を払うこともそうです。お金はエネルギーなので、どういう思いでお金を使うかによって、お金が入ってくるかどうかが変わってきます。
善報、悪報は、自分の心の中の問題なのです。
また、報いとして返ってくることは、若干のタイムラグがありますので、良いことを善い心で行い、あとはそのした行為自体を忘れて過ごす、位が丁度良いということを心得て、日々過ごしてましょう。