☆い年…人の過失をいつまでも責めず、放置もせず。よく修正して禍なし
東京新聞TOKYO Web
平成30年7月18日から引用
物事というのは、自分の捉え方によって、その意味合いが違ってまいります。
一般的にどんなに良い事であっても、自分にとっては良くないと思えるかもしれない、また、一般的にどんなに悪い事であっても、自分にとっては良い事になり得るかもしれない。
例えば、人が気を遣って動いてくれたことについて、見え透いた偽善のように思えて、素直に喜べないかもしれません。
例えば、急な病気にかかり、予め計画していたことが全くできなくなったとしても、その計画は実行しない方が良かったから病気になったのだと、割り切ることができるかもしれない。
結局のところ、その物事を自分がどう認識するか、という問題なのです。
これは、人との遣り取りにもいえること。
人の失敗を失敗として捉えるのはとても簡単なことですが、もう少し視野を広げてみてみると、違ったものが見えてくるかもしれません。
失敗は成功の母だという諺がありますが、それはどんな物事も、自分の認識によって成功に導くことが出来るということを暗にしております。
人を、失敗ばかりする人から、気付きを与えてくれるユーモラスな人物だと思えることができる認識があれば、人生のあらゆる場面において、物事は好転し、発展していくことでしょう。
認識を改めるとき。