2018解説

物事の本質を見つめる難しさを知るとき

☆とり年…人と争う時は物事の善し悪しを語らず、本質は何かを求めるべし

東京新聞TOKYO Web
平成30年4月23日から引用

人はとかく、物事について善し悪しを評価しますが、その善し悪しが何を基準にされたものなのか、考えなくてはなりません。

基本的に、人が生きていくというのは、自己肯定で成り立っております。過去の自分を肯定し、自分の考えを肯定する。その肯定のためには、周りに対して排他的になる傾向があります。

そして、人は生まれ成長していく中で、様々な価値観を植え付けられていきます。親や学校や社会から与えられた価値観というのは、物事の本質というよりは、誤情報と世間体によって作られた嘘偽りの価値観です。

その間違った価値観を、後生大事にしているというのが、私たちの現状なのです。

物事についての善し悪しの判断は、そうして培われた自分の偏った価値観によるものだと思って差し支えないでしょう。

自分が正しいと思っているその判断基準自体が間違っている場合、物事の正しさなど、計りようがありません。

人と人がその物事についての善し悪しを判断しようとしたところで、お互いが偏った価値観での言い合いになりますので、ただの自己肯定のぶつけ合いにしかならないでしょう。

それでは、物事をどうして判断すればいいのか。それは、考えや感情を離れて、様々な角度から物事の本質を見つめる努力をする以外にありません。

善し悪しでは、どうしても善い側と悪い側が出て来ますが、本質というのは、善いも悪いもない、ただの事実。

日頃より、物事の本質を見つめる努力をすることが、物事の正しさに近付く、唯一無二の方法なのです。