2018解説

解説(21日・うし)

☆うし年…妄念は人間の通常なり。だが、悟りは妄念に付随する。反省せよ

東京新聞TOKYO Web
平成30年1月21日から引用

人が悟るということについて、そこに何か基準があるのかといえば、それは無いと言えるでしょう。

例えば、仏教の宗派によっては、何か基準を設けて、または師が認めることにより、悟っていると言われることがあるかもしれません。

また、自分で悟ったと思うことがあるかもしれません。では、悟るとは、一体何のことでしょうか。

生きる意義や本質を見出したり、生きる苦しみを理解し、そこから抜け出す、心のとらわれから解放されるということでしょうか。

しかし、それらは、自分の価値観を一度手放してしまえば、辿り着くことができるでしょう。

悟りとは、自分の価値観を手放すことか、といえば、そうともいえるし、もちろんそこから先の話であるともいえるでしょう。

悟りとは、人が向上していく限り、人生の中で、生涯に何度も感じることになるでしょう。この世では、人の理解を超えた叡智を識ることを、悟りと呼んでいるという認識で良いでしょう。

ある地点が悟りなのではなく、その人にとって、今の段階から抜け出した一つ上の段階の学びのことを、悟ったと錯覚するということなのです。

そのため、自分が悟ったといって、満足している人がいたなら、それは人として向上することを止めて立ち止まってしまった人だと言えるでしょう。

この世の叡智とは、一人の人間が全てを識ることが出来るほど、浅薄なものではありません。

悟ったと思う心は、常に錯覚であり、妄念である。悟りとは、生涯目指す所であって、辿り着く所ではないのです。