☆う年…盗賊は盗賊を。狼は狼を知る。同族に理解あるなり
東京新聞TOKYO Web
平成29年7月15日から引用
貪りの心というのは、端から見れば、忌み嫌われるものです。理解するものが在っても、それは同じ弱みを共有しているに過ぎません。
さて、生きておりますと、本当に自分のことを分かってくれている人はいないと、思う時もあるかもしれません。
人と接していても、自分の心が渇いている、という経験をされた方もあるのでは。
人はとかく、理解を外に求めがちです。自分のことを理解してくれる存在がどこかにいるはずだと思い、自分の評価を外に預けてしまってはいませんか。
自分のことを理解してくれるのは、他でもない自分自身です。自分自身と向き合わずに、外に理解を求めていても、心が満たされることはないでしょう。
自分のことについては、向き合いたくない現実があると、どこかで思ってはいませんか。心は、見ないようにすればするだけ、蓋をすればするだけ、その想いは強くなります。自分と向き合わずに生きるということは、本来の自分として人生を歩んでいない、ということになります。
自分自身と向き合い、良いも悪いもなく自分の事実を受け入れることができれば、自分はどういう人間か、ということについて、人の意見は気にならなくなるでしょう。
自分がどういう人間か分かったのちに、自分のことを最も理解してくれる理解者も現れます。
まずは、自分を理解しましょう。